僕は奥さんと小学4年生の男の子と小学2年生の女の子との4人暮らしです。
この4人で暮らせることに、この上ない幸せを感じています。
でも、時にはこんな幸せな暮らしなのにも関わらず、イライラしてしまったり、怒ってしまったり、してしまうことがあります。
自分でも良くないな、と思っています。そんな時はこんな風に考えることにしています。
大切な人は居てくれるだけでありがたい
「大切な人は居てくれるだけでありがたい」大切な言葉なので、何度も言います。
僕はこの言葉と、本で出会いました。
この言葉を読んだ時、衝撃を受けました。100%その通りで、大切なことをズバリ言い切ってくれているこの言葉がそれ以来頭から離れません。
考えてみてください。あなたの身近な大切な人、家族、友達、同僚や先生かもしれません、その人が居てくれることが、どんなにありがたいことか。
ここで、「ありがたい」という意味にも触れておきます。
「ありがたい」は、漢字で書くと「有難い」です。
有るのが難しいと書いて「有難い」です。文字通り、それが有ること自体が、簡単な事ではなく、難しいことで、貴重なこと、となります。
身近に居てくれる大切な人、その人たちが居てくれること自体が「有難い」ことなのです。
大切な人が居てくれること、それ自体が喜びであり感謝すること
この様に、大切な人は、「居てくれるだけでありがたい」のです。
その人が何かをしてくれるから、何かを手伝ってくれるから、何かを教えてくれるから、大切なのではありません。
その人の存在自体が、有難いことであり、その人の存在自体が喜びであり感謝することなのです。
本当は、その大切な人に、「ありがとう」と言いたいところですが、突然、存在に対して「居てくれてありがとう」と言われると、驚かれると思います。
だから、僕は大切な人に「ありがとう」は、心の中で言っています。
そして、「ありがとう」の気持ちで接するようにしています。
人は慣れてしまう生き物
特に、家族のように、それが例え大切な人出会っても、毎日一緒に暮らしていると、そのこと自体に慣れてしまいませんか。
人は慣れてしまう生き物なのだそうです。慣れてしまうという能力は人間が生きていくうえで必要なのだそうです。ただ、生きていくうえで必要といういい側面もあれば、よくない側面もあります。
慣れてしまい、家族が居てくれるのが当たり前、という考えになってきてしまいます。
家族が居てくれて当たり前という感覚になってしまうから、何か少しでも気に入らないことがあればイライラしたり、怒ってしまったり、してしまうことになります。
家族が居てくれることが「ありがたい」と感じ続けることが出来れば、日常の些細なことでイライラすることもなく、幸せを感じながら生活できるのではないでしょうか。
考え方って、とても重要だなと改めて思います。
逆に、些細なことでイライラしたり、怒ったりしてしまっている自分に気付いた時は、きっと家族の大切さに慣れてしまっているサインだと思います。
大切な人が居てくれることに慣れてしまったら
大切な人のことを、「居てくれるだけでありがたい」と感じるために、こんな考え方をしています。
もし、大切な人が居なくなってしまったら。
もし、大切な人が、出かけたまま帰らなくなってしまったら。
もし、大切な人が、朝、目覚めなくなってしまったら。
目の前の大切な人は、「居てくれるだけでありがたい」ことなのだということに改めて気付けると思います。
考えるだけでも怖いことなので、僕はこの考えをしなくていいように、「大切な人は居てくれるだけでありがたい」のだ、ということを常に意識するようにしています。
今日も最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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